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名古屋地方裁判所 昭和44年(行ウ)13号 判決 1970年9月25日

名古屋市港区港陽町六八三番地

原告

田中満雄

右訴訟代理人弁護士

竹下重人

名古屋市中川区西古渡町六丁目八番地

被告

中川税務署長

宮尾典

右指定代理人

服部勝彦

西村金義

井原光雄

石田柾夫

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、被告が原告に対し昭和四二年三月四日付でなした昭和三六年分所得税の決定処分および昭和四二年三月六日付でなした再評価額等の決定処分はいずれもこれを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、請求の原因として

一、被告は原告が昭和三六年にその所有していた名古屋市港区港本町五丁目一〇番の三宅地二六九・七一平方米および一〇番の五宅地一六九・六八平方米の各土地を代金金一五〇〇万円で他に譲渡したものであるとして原告に対し昭和四二年三月四日付にて原告の昭和三六年分所得につき所得金額金七一七万九二〇円、納付すべき税額金二七二万七九六〇円とする所得税決定処分および加算税額金六八万一七五〇円とする無申告加算税の賦課決定処分、並びに昭和四二年三月六日付にて再評価額金五〇万八一六〇円、再評価差額金四九万五四五五円、再評価税額金二万七二〇円とする資産再評価法第六九条の規定による再評価額等の決定処分および加算税額金五〇〇〇円とする無申告加算税の賦課決定処分をした。

二、原告は右各課税処分をいずれも不服として被告に対し異議申立をしたところ、被告は昭和四二年六月二六日付をもつて右異議申立を棄却する旨の決定をなし、原告はその頃右通知を受けた。

三、原告はさらに右各課税処分につき名古屋国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は昭和四三年一二月二四日付にて右審査請求棄却の裁決をなし、原告は同月二五日その旨の通知を受けた。

四、しかしながら原告が右各土地を譲渡したのは昭和三五年中のことであつて被告のなした前記各課税処分は課税要件事実の発生した年度の認定を誤つた違法な処分であるから取り消されるべきである。

と述べ、被告の主張事実のうち一の点を認め、計算関係は被告の主張通りでありただ被告は当初右各土地の譲渡時期を所有移転登記手続のなされた昭和三八年中と認定し、その旨の課税処分をなしたが原告の異議申立によりこれを取消した上本件課税処分をなしたものである。被告としては本件課税要件充足の時期を昭和三六年以降と認定しないかぎり本件課税をなしえなかつたものである。二の(一)の点を争わず、もつとも所得税法第九条第一項第八号の譲渡所得の計算上収入金額とは収入すべき権利の確定した金額をいうものとされ、その権利確定の時期は譲渡所得については所有権その他の財産権の移転する時期による。但しその移転の時期が明らかでないものについては当該譲渡契約が効力を生じた時による。とされていた。同(二)の点は本件各土地の譲渡時を除きその余の点を認め、同(三)の点を認め、右各土地の譲渡契約は朝日浅次郎の仲介によりその効力の発生したのは昭和三五年三月二三日である。同(四)の点を否認し、本件各土地の売買契約にあたり近有権移転の時期に関する別段の定めはされていない。もつとも(四)の(1)、(4)乃至(7)の各点を認め、同(2)の点は不知、同(3)の点のうち原告が転居先である名古屋市港区港陽町六八三番地に家屋を新築し、その新築工事を建部弘が請負つた点を認め、その余の点は不知、なお原告が移転先宅地を取得したのは昭和三五年一〇月で右新築請負契約を締結したのは同年一一月である。と述べ、更に右各土地の譲渡の経緯として、

一、(1)原告は本件各土地およびその地上建物(店舗付居宅、工場、倉庫)を所有し、同所でクリーニング業合資会社山一商店を経営していたが、(2)昭和三二年始め頃より事業資金に不足をきたし本件土地の筋向いの瀬口菊五郎に右各土地およびその地上建物の買受方を申し入れたが同人は資金の余裕がないとしてこれに応じなかつたため、(3)原告は将来返済が困難となつた場合、あるいは右瀬口に資金の余裕ができたときには右土地および建物を買い取つて貰い、その代金にて決済するつもりで右瀬口から順次資金の融通を受けて来た。(4)その他原告は朝日浅次郎からも融資を受け同人のために抵当権を設定したこともあつた。

二、(1)昭和三四年九月末の伊勢湾台風の被害で原告は同年秋は殆んど営業ができなかつたため益々資金に窮し、右災害復旧資金にあてるため昭和三四年中愛知県環境衛生同業組合に融資の申込をしたが、(2)右融資は仲々実現しなかつたので、原告は右瀬口に右各土地およびその地上建物の買取方を懇請し、昭和三五年三月二三日朝日浅次郎を仲介人として代金総額金一五〇〇万円にて右瀬口と売買契約を締結した。尚右各土地には南隣の林某所有の建物が境界線を超えて侵入しており、その撤去の交渉は容易でないと予想されたのでその点の処理をも右朝日浅次郎に一任する所存であつた。

三、そして右契約時までに原告が右瀬口から借受けた金員は総計金五四五万円となつていたのでこれを右売買代金と対当額において相殺し残金は分割払とすることとしたが他に別段の特約を定めなかつた。

四、(1)原告は右各土地およびその地上建物を早期に右瀬口に引渡すべきものと考え転居先の土地を購入して住居を新築すべくこれに必要な金員を必要な時期に支払つてくれるよう右瀬口に申入れ昭和三五年中に合計金三〇〇万円の内払いを受け、(2)右資金で原告は昭和三五年一〇月ごろ前記転居先の宅地を購入し、建部弘に請負わせて同地上に居宅を新築した。

五、(1)そして原告は信仰している宗教家の昭和三六年に入つてからの転居は不吉であるとの説に従い右新居の大部分が完成した昭和三五年一二月末頃から、電燈線は隣家から引きこませて貰い水も分けて貰い、簡単な寝具等を持ち込み妻とともに夜間右新居に寝泊することにし、(2)それからは右各土地上の建物階下には右瀬口方の従業員が寝泊しまた同建物のうち倉庫については同年夏頃から右瀬口が倉庫として使用していた。

六、(1)原告は昭和三六年一月一日から本件土地上の建物での前記営業を従業員であつた井沢鉢に譲渡し、同年二月頃原告ら家族全員が前記新居に移転し終ると直ちに右瀬口より右井沢に明渡の要求がなされ、右井沢はその頃本件土地上の建物全部を右瀬口に明渡しを完了し、(2)右瀬口も自発的に残金の支払を急ぎ加藤常明から一時的に代金の一部の融通を受けて同年四月頃までに前記売買代金残額の大部分の支払をなした。右各土地の所有権移転登記手続が右両名の共有になされているのは右の事情によるものである。

七、ところで前記愛知県環境衛生同業組合の融資は同組合内部における審査に時日を要し、本件土地売買契約成立後に貸出通知があり、原告はこれを一旦断わつたが右組合の貸出に関する内部手続を終つているので今更ことわられては困る。すぐ返済してもよいから一旦借り受けてほしい旨の申出があり、前記のとおり原告と右瀬口との間には売買代金につき分割弁済の約束があり、又隣家の越境問題の解決が遅れていたために所有権移転登記手続はかなり後になる見透しであつたので、その時までに同組合のための抵当権設定登記の抹消登記手続をすれば買主に迷惑をかけないと考えて同組合から借入れて抵当権を設定した。この抵当権および前記朝日浅次郎のための抵当権は右所有権移転登記手続の時まで右瀬口からの弁済金をもつて被担保債権を返済して抹消することに了解がついていたので特に問題にならなかつた。

八、そして右隣家の越境問題の解決がおくれたためわずかな残代金の支払と移転登記手続は遅くなつたが、昭和三八年二月頃すべてが解決したので右瀬口のため右各土地の移転登記手続を完了し、右瀬口は地上建物を取り毀して自己の営業用建物を新築した。尚昭和三六年以降も右各土地および地上建物についての固定資産税は原告に対し課税されていたので原告が立替え納付した後右瀬口よりその返済を受けた。

九、以上のとおり右各土地売買契約には所有権移転時期につき特段の定めはしていないものであるから、右各土地の所有権は右売買契約が成立し効力を生じた昭和三五年三月二三日に右瀬口へ移転したものである。と述べた。

被告は主文と同旨の判決を求め、答弁として請求の原因たる事実一、二、三の各点を認め、同四の点を争い、被告の主張として

一、右各課税の経緯は次の1、2記載のとおりである。

1、昭和三六年分所得税

<省略>

なお、総所得金額の内訳は全額譲渡所得金額である。

2、個人資産再評価税

<省略>

二、右各課税の内容は

(一)  一般に個人が昭和三六年までに土地を譲渡した場合には、当該個人は、旧所得税法第九条第一項第八号(昭和三六年法律第三五号改正)により譲渡所得として、所得税を、また資産再評価法第九条(昭和二八年法律第一七五号改正)により、個人資産再評価税をそれぞれ申告し、それぞれの税額を納付する義務が課せられている。

なお、旧所得税法第九条第一項第八号に規定されている資産の譲渡とは、他人に当該資産の財産権を移転させる一切の行為を云うのであつて、資産の所有権が移転した日の属する年分において譲渡所得が課税されるのである。

(二)  原告が、本件土地の所有権を瀬口菊五郎に金一五〇〇万円で譲り渡したにもかかわらず所得税の申告および資産再評価税の申告をしなかつたので被告において右譲渡の内容を調査したところ、原告は瀬口菊五郎に本件土地を昭和三六年四月中に譲渡したと認められたので前記課税の経緯のとおり、原告に対し昭和三六年分所得税および資産再評価税につき決定処分をなしたものである。

(三)  本件土地譲渡の経緯はつぎのとおりである。

原告は昭和三二年二月頃から瀬口菊五郎より金銭を利息を付さないで借り入れていたのであるが、原告の経営する事業もはかばかしくないためその借入金の返済もないまま年々借入金の蓄積が多額となり遂には右借入金を金銭にて返済することが不可能な状態となつたため原告は本件土地を右瀬口菊五郎に金一五〇〇万円で譲渡し、その譲渡代金の一部と借入金と相殺することとして右当事者間で譲渡の話がまとまつた。

(四)  本件土地が譲渡された時期(所有権移転の時期)は昭和三六年四月中である。

本件土地の譲渡契約が仮りに原告主張の頃なされたとしても本件土地の所有権の移転時期は引渡の時と定められ引渡の時期は昭和三六年中とされ現実に同年四月中に引渡されたものである。このことは次の事項を総合勘案すれば明白である。

(1)  原告は本件土地につき愛知環境衛生同業組合に対し昭和三五年四月四日に本件土地につぎにのべるような抵当権を新設しており、しかも右抵当権は昭和三六年三月九日に抹消されていること。

抵当権者 愛知県クリーニング環境衛生同業組合

債権額 金三〇万円

期限 昭和三八年五月三〇日

債務者 合資会社 山一商店

(2)  買手である瀬口菊五郎は、「世間でよくある金は支払つたは、物件は引き渡してもらえないことになつては困るので田中さんの家族や従業員が全部完全に立退いた昭和三六年四月中頃に残金の大半である金四六〇万円を支払つた」旨の申立てをしていること。

(3)  原告は転居先である名古屋市港区港陽町六八三番地に家屋を新築したところであるが、右家屋の建築工事を請負つた建部弘は右家屋を完成し原告に引渡したのは昭和三六年二月頃であり、また引渡し以前には、原告およびその家族等が右家屋に住んだことがない旨の申立てがなされていること。

(4)  右家屋のガス施設は、東邦ガス笠寺営業所にて調査したところ昭和三六年二月二五日にガスメーターが設置されたこと。

(5)  右家屋の電気施設は中部電力南営業所にて調査したところ昭和三六年三月二七日に設置されたこと。

(6)  右家屋の名古屋市港区役所の固定資産台帳に登載されている建築年度は昭和三六年となつていること。

(7)  原告が右家屋へ転入した日は名古屋市港区役所の住民票によれば、昭和三六年九月一日となつていること。

(五)  以上により被告は本件土地の売買による所有権移転がなされたのは本件土地代金の残高の大部分を入手した昭和三六年四月一四日頃であると認めたものである。と述べ、原告の右各土地譲渡の経緯の主張事実一の(1)の点を認め、一の(2)の点は不知、一の(3)のうち原告が瀬口菊五郎から順次融資を受けた点を認め、その余の点は不知、一の(4)の点を認め、二の(1)のうち原告が愛知県環境衛生同業組合に融資の申込をした点を認め、その余の点は不知、二の(2)のうち右各土地を右瀬口に金一五〇〇万円にて売却した点を認め、その余の点は不知、三のうち別段の特約を定めなかつたとの点を争い、その余の点を認め、四の(1)のうち原告が右瀬口より昭和三五年中に合計金三〇〇万円を受け取つた点を認め、その余の点は不知、四の(2)の点を認め、五の(1)の点は不知、仮りに原告申立ての事実をもつて原告が昭和三五年一二月に右各土地の所有権の移転がなされたとする主旨であれば争う。五の(2)の点は不知。六の(1)のうち原告らの家族が昭和三六年中に新宅へ移転した点を認め、その余の点は不知、六の(2)のうち本件建物の明渡しがあり、右瀬口が代金の大部分を支払つた点を認め、その余の点は不知、七の点は不知、八のうち昭和三八年二月頃右各土地の移転登記がなされた点を認め、その余の点は不知、九の点を争う。と述べた。

証拠として、原告は甲第一号証の一乃至九、第二号証の一、二を提出し、証人木全末三郎、同蟹江秀雄、同早瀬磯雄、同瀬口菊五郎の各証言と原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、被告は乙第一乃至第四号証、第五号証の一乃 至一四、第六、第七号証を提出し、証人坂井武の証言を援用し、甲第一号証の一乃至九の各成立は不知、第二号証の一、二の各原本の存在と各成立を認めた。

理由

請求の原因たる事実一、二、三の各点は当事者間に争いがなく、被告の主張事実一の点とその計算関係は当事者間に争がなく、同二の(一)の点は原告において争わずこれを自白したものと看做すべく、同二の(二)の点は譲渡時を除き当事者間に争がなく、同二の(三)の点、同二の(四)の(1)、(4)乃至(7)の各点も当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第二、第三号証によると同(四)の(2)の点を認定しうる。同(四)の(3)のうち原告が家屋を新築し、その新築工事を建部弘が請負つた点は当事者間に争がなく、成立に争のない乙第一号証によると爾余の点を認定しうる。これらの各事実と成立に争のない乙第三、第七号証、証人坂井武の証言に成立に争のない乙第四、第六号証、第五号証の一乃至一四、甲第二号証の一、二及び弁論の全趣旨を合せ考えると右各土地の譲渡の時期(所有権移転の時期)即ち譲渡所得等の発生時期は被告主張の如く昭和三六年四月頃であつたことを認定しうる。

原告の提出援用にかかる各証拠中右認定に反し原告の主張事実に副う部分は被告の提出援用にかかる各証拠に対比して措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。特に原告の立証の筆頭たる甲第一号証の一、乙第三号証添付の即決和解調書正本写における右譲渡所得等の発生時期を昭和三五年三月二三日とする原告の主張事実に副う部分は前記乙第七号証、乙第三号証自体に対比して措信しがたく、これら証拠によると原告の右の主張事実は真実に反して作為せられた痕跡が顕著であり、このことは却つて被告のこの点に関する主張を裏付け補強している感が深い。他に被告の本件各課税処分を取消すべき瑕疵も認められなく、右各課税処分は正当であつて原告の請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、民事訴訟法第八九条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小沢三朗 裁判官 日高乙彦 裁判官 太田雅利)

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